~ 菜 乃 庵 ~

ユルイ生活blog.目指せオトナのsimple life.

思い出話

この季節になると思い出すことがある。

私がまだここに引っ越す前、実は住むところがなくて、当時正社員の傍ら土日祝にバイトをしていた事務所の二階に転がりこんだことがある。

転がり込んだというと聞こえはよくないが、状況を説明したら上でよければ使って下さいと言ってもらってお世話になったのだ。


事務所の上は賃貸マンションで、社員の何人かはそこに住んでいた。私が借りた部屋には元々男の人が住んでいて、その人は私に部屋を空けるため、隣の男の人(社員)と同居することになった。本当に申し訳ない状況だった。

部屋を空けてくれた男の人は、実は社員といえども経営者の一人で、なかなか切れる男の人だった。その会社は家族経営だったのだ。


バイトを始めたのは本当に成り行きだった。たまたま私がその事務所に訪れた時、その会社のPCが不具合を起こしたのだ。丁度PC担当者が退社されて後任が見つからないで困っているという。

「私で良ければ対処しましょうか?」と申し出て、その日は事なきを得た。すると「もし良ければ今後も仕事を手伝ってもらえませんか?」と向こうから頼まれた。

私は別に仕事を持っていたので、「休日だけで良ければ」とその申し出を受けることにした。職場はすごく居心地が良かったので、出来ればそのまま正社員になりたいくらいだった。


ワケあって私はその地を離れることになっていた。当時の私はいっぱいいっぱいで、とにかく住むところを見つけるのが先決だったのだ。けれど、なかなか思うように事は進まず、ついに住む場所がなくなってしまった。

私の全ての状況を説明(金銭的なことも含めて)した上で、その事務所の二階にお世話になることになった。二階に住むようになってからは、平日の夜も仕事をするようになった。

半年ばかり私は不眠不休で働いた。とにかく必死だったので、自分の人生のうちでこれほど働くことはもうないと思う(苦笑)


平日の仕事を定時で終え、帰宅して軽く食事をとり、20時から23時あるいは24時まで働いた。夜の時間帯の仕事は部屋を空けてくれた男の人と二人きりのことが多かった。

彼の秘書的な仕事をしていたので当然だが、急ぎの仕事が入ると断れない。彼はとても精力的に働く人で、立ち居振る舞いは紳士的で、口数は少ないけれどユーモアのある人だった。

ある日の夜、彼が窓の外を見ながら机の前に立っている私にふとこう言ったのだ。


「これから先もずっと私のサポートをしてくれますか?」


どういう意味だろう?そう思ったけれど、それは聞かずに


「私でよろしければ」


と返事をしてしまったのだ。


彼が私に好意を持っていることは何となく感じていたし、私も彼に好感を持っていた。けれど双方ともそれはものすごく曖昧で、踏み出すことを恐れていたような気がする。私は仕事の上でのサポートだと思うようにした。


しばらくしてから、もう一度同じように言われたことがある。


その時も私は特にどういう意味かと確認はしなかった。その後、彼からプライベートで誘われることはなかったし、食事に行く時にはいつも私たちの周りには誰かしら人がいた。

気持ちを確かめ合う言葉もなかったし、何かが繋がっているという錯覚をする年齢でもなく、ただ「これからもずっと私を支えて下さい」と言われただけだった。

そのうちに私は住むところも見つかり、着々と引っ越しの準備を進めていた。引っ越ししてからもバイトには前と同じように土日祝に通っていたが、遠いのを理由にその後数ヶ月でやめてしまった。


引っ越ししてから、一度彼から食事に誘われた。快諾したもののその後何一つ確認もなく、当日になっても何の連絡もなかったので、私は友達と遊びに行ってしまった。

夜遅くに携帯が鳴ったが、それは非通知からだった。彼は仕事上、自分の携帯を非通知にしている。私は非通知を受け付けない設定にしているので、携帯に電話する場合は非通知解除して下さいねと頼んだことがある。

彼からであることは確実だったが、私は折り返して連絡しなかった。彼からも電話がかかることなく、それっきりになってしまった。


その後も数ヶ月に一度、仕事のことで相談があったり、実際に会って話をすることもあったけれど、その日のことは二人とも何も言わなかった。


今だにあれがどういう意味だったのかわからない。もう少しどちらかに勇気があれば、あるいは何か違っていたのかも知れない。

公私ともに一緒に過ごすと見えてくるものがある。会社を経営する者として、周囲との摩擦があったであろうことも想像が出来る。彼はもう結婚しただろうか。


秋が訪れるといつも、好きだったのかどうかさえわからない彼のことを思い出す。自ら選択しなかった道の一つとして。