~ 菜 乃 庵 ~

ユルイ生活blog.目指せオトナのsimple life.

ワタクシゴト

人が生きていくのに転機っていうのは絶対あって、私は7年ほど前に生き方として進行方向が大きく変わってしまいました。それによって多数の人間関係をリセットして今に至ります。それが正しかったかどうかは死ぬ時までわかんないですけど、出来ればヨカッタナと思って人生終わりたいと思いつつ日々生きてます。というか、この出来事に対しては絶対正しかったと思いたい。流れに乗るのも大事だけど、流れを変えるのも大事。大波小波でザブンザブン。アップアップするのもこれまた人生だ。

その後も仕事を含む自分の生き方として、何度か転機がありました。転機ってチャンスなんですよね。そしてそれは必ず人から運ばれてきます。ここ5年に私が意識しているだけで2-3回あったのですが、いずれも自ら手放してしまいました。


それは私が手を差し伸べてくれた人を100%信用できなかった(特に仕事関係)からなんですが、50%信用してその手を握ったとして、果たしてうまくやっていけたかどうか。その渦中にいれば、どうにかやり過ごせたとして、それで自分が満足できたかどうか。

やっていないことに対しては比較検討のしようがないので、これまたヨカッタナと思える結果でありたいと思うしかないのです。でもやっていないからこそ、どうにも後ろ髪がひかれます。あの時こうしていれば…。選択したことに自信がもてないのは、今の自分に満足していない証拠ですよね。


相手の手を握らなかったのは、自分に自信がなかったから。楽する方向へ自分が動いたから。新しい環境に飛び込む勇気がなかったから。自分で自分の世界を広げようとしなかったから。だからちょっと後悔しちゃうんですよね。後悔したくないって思っているのに、その時の自分の弱さが今となってはハッキリ見える。

それに屈しないためには、今の状況で精一杯頑張るしかない。頑張るしかないのにどこか空回りしている。楽した自分への罰ですね。なんかうまく出来てるよなぁ…。自分がやったことって、必ず自分に跳ね返ってくる。そんな当たり前のことを最近しみじみ思っていますw ちょっとした戯言でした。まる。