~ 菜 乃 庵 ~

ユルイ生活blog.目指せオトナのsimple life.

上がらない


旅行目前なのに一向にテンションが上がらなくて、パッキングが進まない...。

先日、二日続けて嫌な夢を見ました。
一つ目の夢は実家でのこと。珍しく家族五人が総出演!父、母、弟、妹、そして私。二つ目の夢は会社でのことでした。

どちらの夢も精神的に追い詰められたもので、夢から覚めたときは寝汗ぐっしょりで、朝からぐったり疲れてしまいました。


実はずーっと不眠です。寝付くまでに数時間。気がついたら朝4時、5時。そこからうつらうつらと寝入り、昼間はずっと眠いのです。眠くて眠くて仕方がない。

寝付けないのは足が冷えているせいもありますが、常に頭の中でぐるぐる考えていることがあるからだと思います。ふと気がつくと考えています。お茶碗を洗っているとき、洗濯ものを干すとき、お風呂に入っているとき、ベッドに入ったとき、、、。


去年は、それまで少し距離をおいていた実家とたびたび連絡をとるようになりました。私にとって実家、、、というより母なのですが、とにかく相性が悪く、できればもうずっと疎遠にしたいと思っているのです。

だけどそうすることに踏ん切りがつかず、かといって母にはもう私のことを理解してほしいとかわかってほしいという気持ちはなく、母に対しても喜ばせてあげたいとか、仲良くしたいという気持ちはないのです。


そういう気持ちになってしまったのは、去年の九月半ばの電話でのことでした。詳細は省きますが、母の中には偏見や差別、蔑視、侮蔑といったものが大きく幅をきかせていて、それは私が子供の頃から母に対して嫌悪を抱く原因でもありました。

母は自分の頭の中で考えた理想像が絶対であり全てであると信じているので、目の前にいる相手が自分と違った考えであることを非常に嫌悪し、そうした相手を見下します。他人ならいざ知らず、自分の子供がそうであることを許せないのです。相手のことを見て、理解して、自分とは違うということを受け止めたり寛容したりすることの出来ない人なのでしょう。

私は子供の頃から、この母の頭の中にいる理想の子供と比べられてきました。母にとってはそうであることこそが正しく、そうでないことは正しくないのです。子供の頃は母の望むように、母が喜んでくれるように努力してきたし、庇護下にいる間は逆らえるはずもなく、あるがままの自分を受け止めてもらえた記憶があまりありません。


少し前にも書いた(親子関係 - 〜 菜 乃 庵 〜)のですが、私は小学生にしてずっと慢性神経性胃炎に悩まされていました。大人になって親元を離れて胃痛というものがなくなったとき、ようやく自分の胃炎の原因が母親であることに気がついたのです。

もちろん親元を離れてからも、できる限り母を喜ばせたいとあれこれ努力はしてきました。でも所詮、私と母は全く違う人間です。母の頭の中の理想像にはなれないし、母の望んでいるような人間にはなりたいとも思っていないし、なれません。


母は常に自分を納得させろ、満足させろと求める人なのですが、そのことに私のほうがもう疲れてしまいました。電話で「お前は好き勝手に生きている」と言われました。当たり前です。私の人生ですから。一体私をいくつだと思っているのでしょう。でも母はそれが気に入らないのです。そして歯切れの悪いことに、そのことに対して私自身も開き直れないのです。

好き勝手に生きて何が悪い。と思ってはいても、そう突っぱねられない自分がいるのです。妹のように親を完全に突き放せないのです。好き勝手と言われても、別に何も人様の道に外れて好き勝手しているわけではないんですよ。母の思い描く娘像とは違うという意味です。思えば私は子供の頃に、徹底した反抗期というものがなかったように思います。


電話を切ったあと、私は号泣しました。嗚咽しました。数時間とまりませんでした。もういやだ。もういやだ。もういやだ。と。

それからしばらく放心状態だったのですが、もうこのままでいいやと思ったのです。もう連絡しない。わかってもらわなくていい。理解してもらおうなんて思わない。はっきりと母に対して完全拒否の気持ちを抱いたのは初めてのことでした。今までは、それでもどうにか母を受け入れ、満足とはいえないまでも母を納得させてきました。でももう嫌なんです。母と関わることが嫌だと思うのです。


それから延々と不眠の日が始まりました。


疎遠にするということを、どうしてそう思い至ったのかということを、親に伝えるべきかどうかをぐるぐる頭の中で考えてしまうのです。理解してくれなくていいと思っているのに、そう思った経緯をどうして伝える必要があるのか。ないじゃないか。と。

伝えたいと思うのは自己満足なんだろう。ざまぁみろといいたいのだろう。このまま黙っているのが一番いいんだろう。どうするのか答えはもう出ているのです。多分このまま連絡しないでフェードアウト。


でもそれでいいのだろうか。やっぱりとことん話せば理解しあえるんじゃないだろうか。ぃゃぃゃ一体何年同じことを繰り返しているのか。もういいじゃないか。ぐるぐるぐるぐる.....。

多分ぐるぐる考えてしまうのは、自分が後悔したくないからなんですよね。寿命でいくと親のほうが先に亡くなるのです。それはすごく近い将来のことです。その時に自分が悔やみたくない、多分それだけなんです。結局自分のことしか考えていないのは、私だって一緒ですよね。


親として、私を産み育ててくれたことには感謝していますが、大人になって「人」としてつきあえるか、というとこれはまた別のことだなぁと最近は特に思います。

ちなみに妹はもう十数年、音信不通です。娘二人から疎遠にされる自分というものを、もう少し母自身が考えてくれていたらと思わずにはいられません。でもここまで年齢を重ねてきて変わらないのだから、母が変わるのを望むのはもう無理ですけどね。

「人」と「過去」は変えられないけれど、「自分」と「未来」は変えられる。さて、私はどう変えて行くのがいいのか。


南の島で吹っ切れて、発想の転換が出来たらいいなー。出発は20日です。