エイプリルフール
今日は4月1日。四月バカとかエイプリルフールとか言われる日だけど、どうして嘘をついてもいい日になったのかは不明らしいです。→ エイプリルフール - Wikipedia
最近は新聞やマスコミが面白がってネタにすることはあっても、身近な者同士でこの日を楽しむという余裕は見られないような気がする。なんか冷めているっていうか、ぎくしゃくするっていうか…。私の周りだけ?
で、こんな日にアレですが、私本日「入籍」しました。(^_^)v ややこしくなるので、詳しくは後日お話しますね。
さて今日は、子供の頃に家族一丸となってエイプリルフールを楽しんだ、そんな思い出話。少し長いですが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。
毎年のように、エイプリルフールには家族同士で小さな騙し合いをしていた。ささいなコトだったけれど、騙された方はそれなりに傷つくので、嘘は必ずすぐにばらして、ごめんなさいとあやまることがルールだった。
その年の4月1日。私は小学校の高学年だったと記憶している。
うちの母親というのはすごくオチャメな人で、子供を集めてはゴム飛びや缶蹴りを率先して一緒に遊んでみたり、ママゴトや基地造りなんていう、子供が想像力をたくましくする遊びには特に協力的だった。
そんな母親だったので、こういうことを言い出すのも全く違和感がなかった。子供同士で何かを言って「今の嘘!」なんていうことを繰り返してじゃれていたら、母親が「今日はみんなでお父さんを騙そう!」と言い出したのです。
子供ですもの。そんなのノリノリに決まっているじゃないですか。しかも母親が言い出したんですもの。もう怖い者なしじゃないですか(笑)
母親は既に何かを思いついていたようで、その計画を子供達(私妹弟)に話し始めた。既に前科があるので、信憑性を持たせるためにも悪者になるのは私の役目だった(苦笑)
父親が「ただいま」と帰宅する。家の中は静まりかえっている。
玄関のたたきに風呂敷に包んだ荷物と手紙が置いてある。
「なのながまた交通事故に遭いました。入院の用意をしましたが、荷物が多かったので持ちきれず、これを持って××病院まで来て下さい」
すぐに玄関で踵を返すと思っていたのに、父親は何故か居間の扉を開けて声をかけた。
「誰かいるのか?」
私達は全員で居間の押入に隠れていたので、笑いをこらえるのに必死だった。
父親が荷物を持って、玄関の鍵を閉めて出ていった気配がしたので、慌てて押入から飛び出して追いかける。
「お父さーん」 弟と妹がかけよる。
「お父さん!」 母親が笑う。
「どうした?なのなは?」
私は門扉に隠れて待つ。
私を見つけた父親が、何故か私にゲンコツを…('Д')!!!
「お前はまた事故に遭うたんかっ!!!」
入院は嘘だとわかったけれど、事故の部分だけ信じている父親。
「違うって!違うって!」
私、殴られ損じゃーん!(泣)
家に戻ってから、急に父親は怒り出した。
「仕事から帰ってきたのに、疲れることをさせるな!」
どうやら精神的にかなりどっと疲れたようだった。全員でごめんなさいを合唱。
「笑い話で済むからいいようなものの、なのななら事故に遭いかねん!」
母親のもくろみは見事的中。この時私は既に2度ほど交通事故に遭ってます。私にしてみれば、妹はまぁあり得なくても、ヤンチャな弟でもよかったと思うんだけど。
母親が言う。
「それにしては余裕やったね?すぐに走り出すかと思ったけど、部屋に向かって声をかけるなんて」
「誰かいるような気配がしたんだ」
なかなか鋭い!
後にも先にも、こうやって父親を騙せたのはこの一回限りでした。翌年は子供達だけで同じようなことをやってみましたが、あっさり見破られたのです。
この話を友達にすると、たいてい「お父さん、可哀想」と言われます。確かに人を騙して笑うなんてことは、年に一度とはいえ、あまり品のいいことじゃないですよね。しかもこの冗談はちょっとキツかったかも。子供としては「父親を騙す」なんてことはあり得なかったので、相当にドキドキした思い出です。
もしかしたら母親はあの時何か、父親に対して腹の立つことがあって、子供を巻き込んで懲らしめたのかなーと、今になって考えてもみたり(笑)
あ、そうそう。わかっちゃいるとは思いますが、私の「入籍」は嘘でーす。(^_^)v ゴメンナサイ。って、誰も騙されないっか(笑)